私の信念と原点

大学院生時に、東南アジアを数ヶ月周遊し、大きな衝撃を受けました。
もっと自分自身の人生について、また育ってきた地域や社会について、真剣に考えなければならないのではないかと。


東南アジアでは、私から見て決して豊かとは言えない生活の中で、人々が活き活きと一日を過ごし、子ども達は目をキラキラさせ、学生や大人達が電車の中や酒場で、国のことや将来のことを熱く語り合う状況を目の当りにし、どことなく歯痒さや、自分自身の「将来への無関心」に強い悔しさとやり場のない憤りを感じました。


同時に、海外を自由に周遊できる日本のパスポートの価値や、現地、東南アジアの人々と話をすることで、海外における日本の評価の高さに驚きました。先人への感謝の思いと、このままの生活を続けていて世界の中の日本は大丈夫なのだろうかと強く思いました。


私の信念の原点はここにあります。


では、これから私はどのような行動をしていけば良いのか、考えるようになりました。


ただ、教科書を頭の中に詰め込み、情報を受け入れるだけの毎日を過ごすのではなく、一人ひとりの個人、自分自身に何ができるのか、何がしたいのかを真摯に考え、行動すること。また、身の回りの社会や時代に対して、一人ひとりが単なる傍観者ではなく、社会や時代がどうあるべきかを考え、その中で自分が、どのような存在として生きていくのか問い続けられる社会にしていくことが大切である。


これが私の信念です。

市議会議員として

その後、学生時代からアルバイトをしていた学習塾において、学校の勉強だけではなく学力を身につける意味をはじめ、子どもたちへ自分自身のメッセージを伝えることで、日本の社会に貢献できるのではないかと、大手企業への就職を辞め、大学院を中退し、子どもたちと向き合うことに専念しました。


塾業を行う中で、子どもたちへの思いを伝えることができているという実感もある一方で、社会への影響の小ささに焦りを感じました。そんな矢先に「先生は、世の中のことについて色々考えているみたいだけど、どうして政治家にはならないの?」という問いをもらいました。


この質問への、答えがそのときの自分には見つかりませんでした。そして、子どもたちの前で口先ばかりの良いことを言っていてはいけない、まず自分から行動しようと決心し、平成22年10月、美濃加茂市議会議員選挙に挑戦しました。


大変厳しい選挙でしたが、当選することができ、それからは日々、本を読みあさり、機会があれば視察、研修、地域の方々の話を聞くことを重ねました。


また、地域のことを自分ごととして活動している人たちにこそ、地域の未来があると強く感じ、活動に参加させていただき、様々なことを教わりました。


失敗しながらも、若い仲間と行動を起こす取り組みも行いました。そのような中で、それぞれの分野、それぞれの立場で課題は際限なくあるけれども、一つ一つの課題の本質と、これまでの積み重ねてきたこと、現在あるテクノロジーや情報、環境、そして人々の意見や価値観を繋ぎ合わせていくことが、もっと必要であると考えるようになりました。

市長として、その後

 市議会議員として活動する中で、私の中に「いつかは市長に挑戦してみたい。そのためにもっと勉強や経験を積まなければならない」という思いで、我武者羅に日々の活動に取り組んでいました。そんな中、平成25年4月、渡邉直由市長(当時)が病気治療専念のため、市長を辞職されました。当初、こんなにも早く市長選挙に手を挙げる日が来るとは思ってもいませんでしたが、多くの方々の支えで挑戦することができました。


 そして、平成25年6月2日、11,394票を獲得して美濃加茂市長に当選することができました。その後、平成28年市長を辞職、出直し選挙で19,088票を得て、再当選。平成29年には3選目を無投票で当選し、平成29年12月まで市長職を務めました。

 

 この間、市民の皆さんとの数え切れないほどの意見交換の機会をつくりました。現場第一の市政運営を行うことで、同じ市内であってもそれぞれの地域ごとに進むべき未来は異なるため、そんな未来を住民の皆さんと丁寧に創りあげていくことの大切さを体感しました。

 

また、ICT(情報通信技術)やAI(人工知能)をはじめとしたテクノロジー(科学技術)が急激に進化を遂げていることや、人々の価値観がこの数年で大きく変化していることに対して、行政をはじめとした、世の中の仕組みや組織がその発展や変化に対応できていない現状を目の当たりにしました。変化することを恐れず、一人ひとりの生活と地域に寄り添いながら、未来を見据えた大胆な舵取りが現在の地方には強く求められていることを痛感しました。


 「変化の本質を見極め、一つ一つ着実に前進している”まち”」と、「いまだに本質から目を背けている”まち”」。これらの差は、今後数十年で取り返しがつかなくなる程、大きなものとなってしまうと思います。


平成26年6月事前収賄容疑等により逮捕。
平成27年3月一審無罪判決。
平成28年11月二審有罪判決。
平成29年12月最高裁上告棄却。

 

逮捕当初から一貫して、事実ではないことを主張し続け、一審では多くの証人尋問が行われ、具体的な証拠が何一つないことから、無罪判決が出された。しかしながら二審では、何一つ新たな証拠や証言が出ない中で、逆転有罪判決。(こちらをご覧ください


 警察・検察による逮捕、起訴、そして裁判所による不可解な判決。大きな不自由もなく、生活ができるのが当たり前だと思っている現在の日本の世の中に、このような理不尽さ、権力の恐ろしさが存在することを、身をもって思い知ることとなりました。このような「冤罪」が存在することは、社会の大きな問題点であり、この問題に向き合っていかなければならないこと。そして、正しいことを堂々と貫き通すことができる世の中を、私たちの世代で築き上げていかなければならないことを、新たな信念として心に強く決めました。


このような事件があったにも関わらず、多くの方々の理解と支えにより、また前を向いて歩み始めることができています。感謝と希望を心に刻み、憤怒の思いと記憶を胸に秘め、これからも社会課題と戦っていきます。